発するプロがなぜ生まれたのか?
どうして発するプロはver3.0に進化することになったのか?
その隠された秘話について、少し紹介するね。
発するプロが生まれるまで
株式会社まちおこしは2000年4月に
携帯メール配信システムを提供する会社として誕生した。
なんでこの事業を選んだかというと
「ご近所サイズのインターネット」が必要じゃないかと
当時の創業メンバーが考えたからなんだ。
その頃、こうした事業を展開する会社は全国でも数社しか無かったね。
たいていは東京の会社だったけど。
地方めぐり
株式会社まちおこし(当時オコシヤドットコム)は、
まず他社の代理店からスタートしたんだ。
でも、全然売れなかった。
今でこそ「携帯メール集客」とか「メール会員」といっても通じるだろうけれど
当時は「それなに?」という導入期だった。
説明会は人だかり。でも誰も一番に始めない時代だった。
それでも営業活動に精を出していると
1店舗、2店舗と試してくれるお店さんに出会えた。
創業メンバーたちは嬉しくて嬉しくて、
なんとしてでもお店さんに成功してもらおうと思った。
だから沖縄にだって足を運んでお店のメール会員を集める手伝いをしていたよ。
そんな調子だから、売れば売るほど大赤字。
それでも創業メンバーたちはそれをやめなかった。
いや、やめられなくなっていた。
自信と資金
ノウハウをためるため、とか何とか言っていたけれど、
本当は売っている自分たちもイマイチ自信がなかった。
「こんなもので本当に集客できるのか?」って。
だから自信を持ちたくて、買ってくれたお客様と一緒にがんばってみた。
自分たちのためだったんだよ。
実際やってみると…
まずメール会員が集まらなかった。
だから集客なんてできるはずもなかったよ。
ますます自信はなくなるし、
創業時に用意した資本金は底をつきかけるし。
そんな時にヘンな誘惑が入ったりするんだよね。
「出会い系メールの配信システムを開発してくれ」とか。
いまでも彼らが誇りに思うのは、当時それをしなかったことだ。
そうこうしている内に、集客できない問題はどこにあるかが分かってきた。
解決策を編み出して、彼らはメーカーにかけあったよ。
「このままじゃダメだ。システムをカイゼンしよう!」
こうして欲しい、と提言した内容はひとつも通らなかった。
理由はコストと労力がかかるからだった。
そこで創業メンバーたちは自社でシステムを開発することにした。
代理店をやめて、メーカーになったんだ。
開発時代
最初の発するプロが生まれたのは、実はそれから2年も後の話だ。
開発メーカーになってから、さらに彼らには下積み期間が続いた。
開発依頼を取り付けたお店さんと膝を突き合わせて
何が必要か?どうしたらうまく行くか?
研究しては実際に作ってみた。
スーパーやショッピングモール、カー用品店、結婚相談所、中古車販売店、コンサートホール、金融会社、歯科医院…
いろんな業種のメール配信システムを構築していくうちに、
「成功のために必要な共通点」が見えてきた。
ひょっとすると、これをまとめあげたら、たくさんの業種で使える
携帯メール配信システムになるんじゃないか?
そういう自信がいつの間にか付いてきた。
それで生まれたのが、最初の自社ASP商品、発するプロ、
と言いたいところだけれど、彼らにとってそれが第一号じゃなかったんだよ。
それより先に、発する道場という、
無料のASPシステムをオープンさせている。
非常識
発する道場は新聞や雑誌などにもよく取り上げられていたから
まぁ、同業さんは驚いたことだろうね。
だって「無料」だから。
そんなの今でも聞いたことがない。
後にも先にも「発する道場」は独特な存在だろう。
なんで、株式会社まちおこしは、そういうことばかりやるのか?
知り合いの経営者は首を傾げたらしいよ。
しっかり儲けなよって。
本人たちは儲けたくないわけじゃない。
もっと成功事例を集めたかった。
100も200も集めたうえで、それで堂々と有料版を出したいと思った。
だから彼らは、たくさんのお店に発する道場を無料提供した。
ねらい通り、発する道場のおかげで、たくさんの事例が生まれた。
それは本になって全国の読者の目に触れることになった。
それから彼らのもとにたくさんの反響が集まりだした。
神田昌典さんとの出会い
その流れでお店さんと一緒に発するプロを次に開発したわけだけれど、
当時のメンバーにはうれしくてハズカシイことがいっぱい起こった。
なんと、携帯メール集客の専門家として講演してください、という依頼が入りだした。
会場では先生と呼ばれて、名刺交換にお客さんが並んでくれた。
講演依頼を取り付けるエージェント企業まで付いて、
交通機関や宿泊先を手配してもらえた。
さらには有名なコンサルタントの神田昌典さんからもお声がかかった。
神田さんが販売するテープセミナー対談のゲストとして、東京に呼ばれたんだ。
余談だけど、株式会社まちおこしの名づけ親は神田さんだ。
そっちの方が分かりやすいから社名変更しなさい、
と指導してもらったのがキッカケ。
発するプロ、成功の影
神田さんのテープセミナーを聞いたお客さんからも注文はたくさん入った。
発するプロは順調に売れて、集客事例がどんどん増えて、
携帯メール集客の新しい専門書も発刊できた。
全国からセミナーの依頼が入り、コンサルティングの仕事も入ってきたよ。
同業さんからノウハウテキストの請負の依頼まであった。
発するプロは、いい方向に進んで行ったけれど、
だんだん様子がおかしくなってきた。
お店さんが、解約して行くんだよ。
集客効果が鈍化して。
携帯メールを始めて2年を経過したあたりから続かなくなる、
そんなお店が出てきた。
メンバーたちは、ホトホト途方に暮れたよ。
いつまでも使ってもらえる携帯メール配信システムを。
その理想を発すれば発するほど、自信を喪失していった。
携帯メール集客の限界
それからというもの、発するプロはまた苦悩の日々が続いた。
ずっと答えが出ないまま、1年、2年と過ぎた。
成功事例を売り物にして
お店さんに契約を促す自分たちのやり方にも嫌気がさした。
「そりゃあ、そうだな。
自分だって同じようなメールばかりお店から送られてきたら、
よほどトクがない限り、いつか解約するよ。」
そうは思いつつも彼らは認めたくなかったよ。
携帯メール集客の限界を。
携帯メールだけで、10年も20年も集客できるわけじゃない。
携帯メールだけでやろうとするのは傲慢だ。
そんな当たり前のことを口にする勇気がずっと出なかったんだ。
ケータイの可能性
携帯メールしかない、という答えが出したかったのは、
実は彼らだけだったんだ。
お店さんは携帯メールじゃなくてもいい。
携帯メールに限界があって本当は困るのはお店さんじゃなくて
彼らだった。
彼らは新しい努力が必要だったんだ。
携帯メールの集客要素は大切にしながらも、
もっと広い活用方法を。
いつしかそれに気づいた彼らは、後ろを振り返ってみた。
すると過去、お店さんとの間に
これまでにもたくさんの試みがあったことを彼らは気づいた。
顧客の声をいかにして集めるか?
それをどのように活かして売上につなげるか?
人材募集やマネジメントの効果はケータイで飛躍するか?
ケータイを活用したプロモーションとは?
さらには、ニュースレターといかに連動させるか?
お客さんとコミュニティは作れるか?…
ケータイはお店を強くする。
IT武装としてのケータイをお店に提供することが
発するプロにはできるはずだ。
それに気づいたとき、ver3.0が生まれたんだ。
新しい試み
もちろん、それでも発するプロは10年も20年も使えたりしないだろう。
今、通用するIT武装が5年後も通用するとは限らない。
お店によっては、やはり2年ほどで用無しになるかもね。
そうしたら、集めたメール会員リストはお店に渡して、
次の何かにチャレンジしてもらったらいい。
1年後、2年後、発するプロも新しい試みを続けているだろう。
賛同してくれるお店と変化し続けて行こうよ。
そうだよ、変化し続けることが大事。
発するプロは100点満点じゃないけれど、
合格点を出し続ける努力はできるはずだ。
お店さんと一緒に学び合いながら。
それが、これまで通りの発するプロのやり方だ。 |